2015年2, 3月に行ったバックパッキングでの中国旅行の記録。
西安・崋山編(6日目~8日目)
5日目の夕刻、ローソン(中国語で「罗森」)で買い出しをし、上海駅に向かった。寝台列車で西安に向かう。チケットはあらかじめネットで予約していたので安心だ。
PM5:45 上海駅に着く。5番の待合所で列車を待つ。一つの待合所がとんでもなくでかくて、これが十二ある。スケールがでかい。列車を待つ人々はこの広い待合所で待たされ、列車が来る直前になって初めてゲートが開きホームに降りられるようになる(空港のような仕組み)。
寝台は硬臥(二等寝台)より一クラス上の軟臥(一等寝台)を取っていた。一等(一等とは言っていない)と云うレベル。まぁ寝れれば自分としては無問題。市場で買った林檎、罗森で買ったおにぎりを食ってすぐに寝た。
翌朝 AM7:00起床。廊下へ出て、窓の外を見ると広陵とした光景の中に、貧しい村落が幾つも過ぎていった。大都会の上海とはもうすっかり趣が異なって、そして山のギザギザとした稜線は、日本のそれとも全く違っていた。
AM9:30 ほぼ定刻通りに西安駅に着いた。乗る時は慌てていたので気が付かなかったが、下車して列車脇のホームを歩いてみると、果てしなく長い列車だった(30両くらい?)。
この日は、西安鐘楼目の前の西安鐘楼国際青年舎に泊まった。ドミトリーは一杯だったので、やや値は張ったがシングルに泊まった。窓から見える夜の鐘楼が、とても幻想的だった。
以下、西安観光も写真中心に。
回教街
清真寺
大雁塔
慈恩寺
慈恩寺から、青龍寺を目指した。青龍寺は弘法大師が修行し、恵果阿闍梨から密教の正当な後継者として指名された寺だという。自分はこの旅を殆どロンリープラネット(英語版『地球の歩き方』の様なもの、以下ロンプラ)のみ頼りに行ったのだが、ロンプラの問題点は青龍寺のように欧米人があまり行かない場所の情報が少ないこと。バイタクの兄ちゃんと共に彷徨いながらも、やっとの事で青龍寺にたどり着いた。(苦労かけたのに料金はそのままだった。とても優しい)
青龍寺では、四国八十八ヶ所の「0」番札がお貰えると事前に聞いていたのだが、これがまた中々見つからなかった。PM 5:00近くなって、人もほとんど居なくなってしまった。おまけに小雨もぱらつきだして来て。困ってしまって、土産物屋にいたお坊さん(?)に声を掛けた。必死にボディーランゲージで0番札の事を伝えると、付いて来いと1キロ近く案内してくれて、漸く空海記念堂へとたどり着けた。(バイタクの兄ちゃんに続き、とても優しい!)うれしくて思わずハイタッチして、ハグまでした。
こうして、無事お目当ての0番札を手にしたのだった。(いつか、四国八十八ヶ所も回ろっと。)
翌日は、かの有名な世界遺産 兵馬俑を目指した。バス914路が中々見つからず苦労したが、彷徨った挙げ句に何とかたどり着いた。西安に来て思ったのは、上海と違って欧米人を全く見ないこと。であるから、必然的に英語も全く通じない。通じない以上、歩いて歩いて歩きまくって、自分で情報を得るしかない。
兵馬俑には、サッカー場くらいの広さのアーチ型屋根の建物の中に教科書通りの像が並んでいた。圧倒されるものの、何か心にズキンと迫るものがない。何故だろうと思いながら、一体一体を間近で見ていた。確かに遠目には一体一体の像が精巧なのだけれど(すべて表情が違う)、近くで見ると"人形くさい"のだ。ああ多分、これらの像は勧んで作られたわけじゃなかったんだ、“作らされた”のだ。と、思った。
この日は翌日の登山に備えて崋山の麓の町に泊まった。兵馬俑から崋山への直通バスは無かったので、一度西安駅へ戻ってから直通バスに乗った。麓に着き少し歩くと、町には登山用品の店がたくさんあって(崋山は中国五名山の一つに数えられる景勝地)、見晴らすと崋山が迫っていた。早朝からの山登りに備えて、ビールやビスケットや飴玉や飲み物を買って床についた。
翌朝、AM 7:15に目覚め、AM 9:00前には崋山に登り始めた。登山道は基本的に舗装路で、カップルや家族連れ、ジーンズ姿の若者もいて皆軽装だった。ただ、自分の方は、時間の都合で10kgくらいの荷を全部背負って登らざるを得ず、それが中々にハードだった。
一部で残雪は見られたものの、天気もよくて、山登り自体はとても良いものだった。
西寧〜成都 大移動編に続く…