2015年2, 3月に行ったバックパッキングでの中国旅行の記録。
西寧~成都 大移動編(9日目~13日目)
崋山からバスで西安駅に戻り(バスの中では抗日映画が流れていた。本場の体験)、深夜0:27西安発 西寧行の寝台列車に乗った。上海-西安間と同じく、これも事前に日本でネット予約していたもの。
ワンランク落としての硬臥(B寝台)。深夜の乗車で、車両の中は真っ暗だった。荷置きのような3段の寝台の中段に自分の床を見つけるや、暗闇の中で潜り込んだ。荷物を抱えて、すぐに眠りに落ちた。
翌朝AM 11:20、列車は西寧駅に着いた。西寧は草木のない禿山に囲まれた街だった。その禿山が、砂漠から街への冷たい風を防いでいるのだという。
駅前から少し街に出て、東大街や西大街というところに出てみると中々に都会だった。街中のATMでは何故かお金が下ろせず焦ったけれど、中国銀行の窓口へ行くと無事にクレカキャッシングが出来て、一安心。
宿探しの道すがら、東関清真大寺という美しいモスクを見た。
北禅寺という高台にある道教のお寺からは、西寧の街が一望できた。ちょうど眼下に高速道路のインターが見えて、それが何だかやけにチャチで、おもちゃの様に感じられた。
西寧では西安にも増して英語が通じず(国際ユースホテルですら通じず!泊まれず!)、夕刻になってやっと“Late Youth Hostel”なるホテルのドミに宿を取れた。ドライヤーが借りられるという奇跡のような宿で、久し振りにシャワーの後に温風で髪を乾かした。・・・しかし、良い事はそう続かない。
受付の人に、「チベット高原鉄道で、チベット自治区に入りたいんですよ〜」と話すと、「入境管理処行くとパーミットもらえるヨ!でも3月は難しいヨ!」云々と。
3月は、難しい?どういう事だろうか?、と思ってネットで調べてすぐにその理由が分かった。1959年3月10日 チベット蜂起、そして北京五輪の2008年チベット騒乱も3月。つまり、3月は中国共産党政府がチベット自治区に対して、最も警戒する時期だったのだ。そりゃあ、CIAかもMI6かも分からぬ外国人など入れたい訳がない。
ロンプラ片手に、計画の練り直し。
大学の新学期が迫る中で自分が考えたのは、一旦蘭州へと戻ってから夏河→郎木寺→松藩というチベット自治州の小さな町々をバスで乗り継ぎ、成都へ。そして成都から東チベット(四川省のチベット自治区に接した辺り)に入った後、再び成都に戻って空路で日本へ、という道程。
こうして翌日から、西寧→成都の壮大なバス旅が始まったのだった...
旅の11日目。蘭州まで順調だったが、降りたバスターミナルで「夏河行きは無いヨ」と言われ途方に暮れる。が、数キロ離れたところに別のバスターミナルがあることを教えてもらって無事、夏河行バスを発見!
夏河県は甘粛省のチベット自治州にあり、ラプラン寺院というゲルク派寺院がある。町には到るところにチベット仏教の五色旗があり、建物はどれもチベット独特の深紅だった。ふと晩飯に入った食堂では、思いがけず法衣を着たチベット仏教の親子と仲良くなれて、セルフィーを一緒に撮るなんて事もあったりした。
旅の12日目。この日は夏河から、甘粛省と四川省のちょうど境にある郎木寺を目指した。朝一番にバスターミナルへ行ったが、今日もまた「郎木寺行きは無いヨ」と何だか聞き慣れた台詞。二人目に尋ねる、ターミナルの職員に取り次いでくれた。どうやら合作という町を経由すれば行けるらしい。いざ合作に着くと、やはりまた「郎木寺行きは無いヨ」だった。迭部という町へ行くバスに乗ればいいらしい。バスで隣り合った青年と筆談(“なんちゃって”漢字筆談)すると、彼が郎木寺辺りまで来たら運転手に知らせてくれることになった。
で、いざバスを降りた所は、辺りに何も見当たらない高原の道だった。
青年を信じて歩くと、まもなく“郎木寺 4km”の標識が見えた。ホッしてスマホから映画「in to the wild」の主題歌を流しながら、誰も居ない高原の道を歩いた。まもなく郎木寺の町が見えた。
郎木寺も夏河と同じく、甘粛省チベット自治州にある町だ。エアーズロックのような岩山を遠望する高原の小さな町。町外れの高台には、郎木寺院というチベット仏教の寺があった。丘では鳥葬も行われるというので現場に行ってみたが、最中には立ち会えなかった。観光客は町を出るまでの間、他に誰も見なかった。ロンプラに載っていた“新旅朋青年旅舎”なる宿に泊まった。夕からは雪が降ってきて、日が落ちるととても寒くて、宿の電気布団が凄く助かった。
旅の13日目。AM 7:20、町を出てバスで若尓蓋湿原を抜ける。放牧された水牛や羊や馬の姿、スリップしてひっくり返った車(別々の場所で2台も!)等、窓の外の世界を興味津々に見ながら、AM 9:30 若尓蓋市街に到着。
若尓蓋からバスを乗り換えて、PM 1:15 無事、松藩に着いた。
松藩は古城を中心とした城壁の観光地だった。宿屋も土産物屋もコンビニ(何故か“HOT SPAR”があってビックリ)も充実していた。松藩は丁度、成都から有名な九寨溝に向かう途上にあるから、パックツアーに組み込まれる事も多いようだ。
翌朝、朝一番のバスで成都に向かった。西寧から成都まで、これが3日間で7本目の長距離バスだった。
東チベット・楽山編に続く…