尾燈去ル

生きるための記録。

自分の

昔語りは恥ずかしいけれど、高校にはあまり行っていなかった。

 

公務員体質の社会経験の少ない公立高校教師の話は空疎でつまらなかったし、文学に浸っていることの方が、その当時はよほど何か得られたような気がしていた。(実際は何も得られてなかったけれど)

別にそんな知的反抗期自慢が本題でなくて、対比的にその後の予備校で出会った、講師の人生訓の方がよほど面白かったと言う事だ。

 

古典の講師だった。学期最後の授業だった。 『自分の勉強』と黒板に大きく書いて、こう言った。

 

「何で、勉強が辛くなるかと言うと、 “自分の” と “勉強” とが離れてしまうからです。親に言われたから勉強する、世間体のために勉強する。そうではなくて、自分のために勉強をしましょう。いくつになっても、自分のために勉強をしましょう。」

 

彼は受験前最後の授業なのに、大学に合格しろと言わなかった。

自分の勉強をし続けろと言った。

 

“自分の”

 

最近この言葉をまた考える。

 

・・・。

 

・・・この続きは、書いて消して書いて、また消した。

 

こんなことを書くのも、多分、今、専ら自分の生きる命題に近いから。

 

週末に幹線道路をひとり、バイクに跨って延々走った夜に、暗がりの先に見ていた記憶のひとつ。

そんな昔語り。