先日、同門のプロボクサーの試合を後楽園ホールに見に行った。
最近も何度か後楽園ホールには通っていたけれど、選手を退いてから、同じジムの仲間の試合を観るのは初めてだった。 つい一年前までは、バチバチとジムでスパーリングしてた仲間だから、応援というよりも同志という気持ちの方が強かった。
結果は負けだった。
試合後の彼は表向きは、飄々としていたように見えた。けれど、試合に負けたボクサーの心のうちの悔しさ、屈辱。なにより応援してくれた人たちへの申し訳なさ、そう云うものはよく分かる。
だから、静かに付き添った。
先日も米国でマキシム・ ダダシェフというロシアのボクサーがリング禍に遭った。“も”と言うのは、彼が亡くなった事に哀悼の意を示すと同時に、彼にも、ひとりの敗者に対しての、ボクサーに対しての精一杯の敬意を表して。
ボクシングは、よく言われるように“sweet science”だと、信じる。同時に厳密なルールに基づいたスポーツであり、多様な物語を纏った悲劇だとも思う。