尾燈去ル

生きるための記録。

おわりなき

物語(フィクション)と現実(リアル)の違いについて。

 

物語は美しい。
何ゆえ美しいかというと、それはフィクションだから。

では、なぜフィクションは美しいか。
一つにそれは空想だから。
そしてもう一つには、終わりがあるから。

時に、スポーツ選手の現役時代や一人の偉人の人生が物語として語られる。
なんだ、フィクションでない物語もあるじゃないか。
と、いうのは間違いで、終わりがある以上それはフィクションなのだ。

切り抜きとは、現実の良い部分だけを抽出した物語だ。現実の一部だけを切り取って、終わり(ピリオド)を作為的に打ち込んだものだ。
恣意的に物語に昇華させて出来た造物は即ち、空想でありフィクションに他ならない。

要するに物語を物語たらせる物は空想であって、空想を空想たらせる物は終わりである。
喜劇も悲劇も物語はもれなく美しいが、本当に美しいのは終わりそのものかもしれない。

一方で、現実には終わりがない。
喜劇ですらなく、悲劇ですらない。

まるで、無戸籍の子どもが、