本州との別れの日。
AM4:30に起床し、大間フェリーターミナルへと急いだ。
9日目
大間のフェリーターミナルは新しく、とてもキレイ。
そして、目と鼻の先には、何かと話題の大間原発が見える。見えると言っても、そのものは見えないが一角にクレーンが集まり工事車両が行き来し、小さな町の中である種の異様さがある。
自分は元来、イデオロジカルな反原発運動にはあまり良い印象がなかったのだけれど、
本州最北の、唯一の、この場所になぜ?
そんな思いが胸を突いた。それぞれの場所には土着した人々がいて、そこには文化がある。昨日、自分は大間の地でそんな人の優しさの一端に触れた。これは単純なセンチメントでは無いと思う。実態があるから。
そうであるならば、この日本に原発を作れる場所などあるのだろうか。
AM6:00 フェリーは大間を発った。下北半島に比べて北海道はどでかい。「大陸」へと行くという感じがした。日本は広いな。同時に自転車でのここまでの軌跡を辿ると日本は凄く狭いな、と感じるのに。
たったの90分の津軽海峡越えの道程、海を見ながらそんなアンビバレントな気持ちをずっと抱いていた。
函館フェリーターミナルについた。バッテリーを充電しつつ正午まで時間を潰す。
そして五稜郭へ。
五稜郭タワーに登ろうかと思っていたが、入場料¥840という値段を見て諦めた。観光客が多いし何よりカップルが多い。こんなところに来るために北海道へ来たのでは無かったから。
「ラッキーピエロ」のチャイニーズチキンバーガーを五稜郭公園で食って、5号線を北へと漕ぎ始めた。
40km程走って、森町に到着。駅前で「いかめし」を買う。
道の駅「YOU・遊・もり」の裏手にある公園にテントを張った。とても静かだ。
いかめしをブラックニッカで流し込むと、すぐに眠りに落ちた。
・走行時間 2h53m17s
・走行距離 54.65km
・積算距離 782.2km
10日目
AM5:00、レインカバーに叩きつける強い雨音で目が覚める。天気予報から予想していたとはいえ、朝から暗澹とした気分になる。
雨脚の弱まった隙をみて、テントを撤収。昼は”お楽しみ”があるので朝食は取らず、すぐに出発。
土砂降りだった。本当に酷い雨だった。でも、不思議とここまでの軌跡が自信となっていて、気持ちが挫けることはもはや無かった。
2回休憩をはさみ、AM11:00前に「長万部物産センター」に到着した。
目的は、¥1,200のかにめしバイキング。
錆びれた建物の外観にはじめ心配になったけれど、噂通りこのバイキングが最高だった。炊きたてのかにめし。山盛りの唐揚げ。出来立ての煮物、サラダ。
まるでジブリアニメのキャラクターのように豪快に食った。消費し尽くしていたカロリーを一気に補給して、精神的にも健康を取り戻した。まさに天国だった。
この日は洞爺湖の周りにあるテント場にでもキャンプをしようかと思っていたが、この雨なので安宿を探すことにした。
スマホで調べてみると「大和旅館」というところの6人雑魚寝のライダーズルームが一泊¥1,500という。早速電話をしてみると、「予約は受け付けていません。PM3:00からの先着順です」とのこと。急がなければ。
5号線をずっと走った…ずっと5号線を走ればいいものだと思っていた。
倶知安、小樽の看板を見ても何も思わなかった。雨だったし、北海道の地理も漠然としたものしか頭に無く。おかしいとは思っていた。洞爺湖の看板が一向に出てこない。
道を間違えたことに気がついた時には、黒松内という所にいた。大分内陸の方に来てしまった。絶望的な気持ちになった。いつの間にか、一本道の両側に農場や牧草地が茫漠と広がるだけの風景の中にいた。
牛…トラック…一本道…家畜の臭い…そして、滝のような雨。
宿にPM3:00には間に合わない。もう無理だ。こん畜生め、と思いながらペダルを漕いだ。いっそ、トラックにでも轢かれれば、救急車で病院に運ばれてあたたかいベッドで眠れるのに…というのは冗談だけれど、そんな妄想まで頭を過った。
4,50分走っただろうか。ようやく37号線に合流し、初めて「洞爺湖」の看板を目にした。走行距離は、この土砂降りの中すでに100kmを超えていた。
トンネルをいくつも抜ける内、しだいに雨は弱まっていった。最後の三豊トンネルを抜けると、洞爺湖に着いた。雨はもう完全に上がっていた。
結局、「大和旅館」には5番目で入れた。4人のバイカーとの談義もそこそこに、温泉に入って眠りについた。とにかく困憊していた。5日ぶりの布団は、とても気持ちが良かった。
札幌へはあと100kmばかり。もう目の前だ。
・走行時間 7h14m19s
・走行距離 136.24km
・積算距離 918.5km