尾燈去ル

生きるための記録。

関わらないと云う優しさ

東日本大震災のあと、岩手県にボランティアに行った。

全国から送られてきた支援物資を仕分けることが主な活動だったが、震災以後放置された学校の掃除片付けだったり、避難所でイベントの手伝いなどもした。

ボランティアには、昔に病院の寮だった処が無料で貸し出された。 六畳一間が5部屋くらいだったけれど、すでに震災から半年以上も経った時だったから、同時期に集まったのは、自分を含めてたったの4人だった。 一人は、滋賀の30代のフリーター女性、あと横浜の男子高校生と大阪の20代の会社員だった。 自分も、確かまだ21だった。

たった2週間ばかりの間だったけれど、活動終わりによく皆で出かけた。 復興ボランティアで被災地に来ている手前、大っぴらにお酒を飲んで愉しむことは躊躇われたのだが、慎ましく地域の飲食店やスーパー銭湯へ行ったことを覚えている。 そんな時は、唯一自動車だった自分が、決まって車を出したこともよく覚えている。

いや早、とても懐かしい。

活動を始めてすぐの頃だったろうか、車の会話のなか、各々ボランティアを志したきっかけが話題になった。 自分は、医学生であること・怠惰な現状と休学していること・何か今すぐ人の役に立つことがしたいと思い立ったことなど、つらつらと話した。

それはそれとして、今でも時々考えてしまうのは、先に述べた30代のフリーター女性の話したことだ。彼女はこう言った。

 世間では人に関わって、助けることが優しさとされるでしょ。例えば、電車の中で赤ちゃんが泣き叫んで母親がとても申し訳なさそうにしていたら、「大丈夫ですよ」と近くで声を掛けてあげること。それが優しさだ、って。
 でも、私は常日頃、“人に関わらない優しさ”もあると思っているの。近くで赤ちゃんが泣き叫んでいても、全く気に留めない振りをわざとする。それが優しさなの。

当時の自分にとっては、考えてもみないアイデアだった。

でも同時に、自分達が今やっているボランティアって、“人に関わる優しさ”の代表的なことじゃなかろうか、とその時思った。けれど、それは口には出さなかった。

以来、生きる中で何度も “人に関わる優しさ”“人に関わらない優しさ” の間を揺れた。 人に関わりすぎると、お節介や迷惑になる。けれど人に関わりすぎないと、無関心・冷血になってしまう。

ボランティアに来ていながらそう語った彼女の、行動と言葉にはらんだ大いなる矛盾は、多分、誰にでもわかることだった。彼女自身もその時わかっていたんだと思う。 だから、彼女も同じように二つのアイデアの中を行ったり来たりしていたんだ、と今は思う。

もうすぐ自分も彼女と同じくらいの年齢になろうとする。

2週間あまりの活動の別れ際、彼女は「私は最近アルコールを飲みすぎて肝酵素が上がってるの」と言った。 そして「将来、肝硬変になったら診てくれないかな」と笑った。「もちろんです」自分は無責任にも答えた。

あれから10年以上が経つ今、日曜の真っ昼間からアルコール片手にパソコンを打つ自分がいる。