尾燈去ル

生きるための記録。

偽の偽、偽の真、真

学生の頃、知人を自殺で亡くした。

Tとは昼をよく一緒にする間柄だった。休日も時々会う関係だった。

 

いろいろなことがあって少し疎遠になった、夏休み明けの初日のことだった。

午前の講義が終わった講堂に、学生担当を名乗る教授陣が2人、並んで入ってきた。

そして、数日前に起こった出来事を、厳かに発表した。

自分は、本当にその瞬間まで何も知らなかったから、強い衝撃を受けた。

時が完全に止まった。午後最初の講義に、自分は多分存在していたと思う。

 

講堂は夕方になっていて、自分は何かをしなければならないと思って、先ほどのうちの一人の生理学教室のK教授の元を訪れた。

 

「ああ、そうなんだね、でも君は何も悪くないでしょ」

 

緊張の糸が切れて、年甲斐も無く涙した自分に対するKの姿勢は、驚くほどにあっさりしていた。先ほど、皆の前での厳かさと打って変わった、冷淡な言葉に感じた。

自裁に対する、面倒臭いことをしやがって、という彼の心が透けていた。

おかげで様で、スッと心が醒めた。(勿論皮肉である)

 

この出来事は、自分の中に世間的な権威ある人間に対する不信を、一層育てた。

 

しかし、別にこちらは本題ではない。

 

あの日の事に戻ると、家に帰った自分は、インターネットでTのニュースを探した。

というのも、見つかる予感があったのだ。

なぜならその数日前、家の近くでやたらに消防車と救急車のサイレンが鳴る朝があって(地方の医学生の住む区域というのは大体固まる)、よく覚えていたからだ。

そして事実を知った後、もしかしてあれが、と思っていた。

 

矢張り、思った通りだった。

彼はその頃、世間で非常に話題になっていた手法を使って命を絶っていた。

そして、その出来事は事件として、それなりに大きなニュースになっていた様だった。

 

時事ニュースを扱う匿名掲示板で、事件が語られていた。

 

「またこの死に方か」

「人様に迷惑かけるんじゃねーよ」

言いたいことは分かる。

しかし、何より目に付いたのは、ニュースでは年齢以外のTの素性が全く伏せられていた為の、あまりにも多くの頓珍漢な意見だった。

 

「フリーターか何かで、将来を悲観したのかな」

Tは仮にも超の付く進学校(自分より余程)を出た医学生だった。

何も知らない奴が偉そうに、と思った。

 

「これからどんどん世の中悪くなるよ。衰退国家で生きていてもしょうがないって事よ」

テメエの国家観と個人の尊厳になんの因果があるのか、と思った。

 

怒りというより虚しくなり、この人たちは、何も知らない(身近でないと言う以前に、素性の情報すらないのだから)人間を、よくもこれだけ、己の価値観を振りかざし独善的に語れるものだ、と呆れた。

 

一方で、身近にいた自分は、彼のことをどれほど理解していたのだろう、とも思った。

Tとはよくお昼を食べながら、その頃のアニメや高校時代の思い出を語ったが、振り返るとお互いあまり本質的なところ、つまりお互いの価値観には触れずに過ぎた気がした。

Tが死んでしまった理由はなんとなくはわかるが、本当のところは分からなかった。推測したところで仕方がなかったし、欠席裁判みたいなことをする気もなかった。

 

彼と直前まで交流を持っていたら、という後悔はある。

後悔はあるけど、そうだったとして彼が救われたかは分からない。

 

結局、彼の心の「真」の部分は彼にしか分からず、彼は逝ってしまった。

今更誰にも分からない。そして多分、誰にでも、同じことは言えるのだろうと思う。

 

彼らの「真」の部分は、彼ら自身にしか分かるはずがない。