人生でわたくしが出会った名言・名文。
概念を解きほぐすことば。
宗教の本質は思惟することでも行動することでもない。それは直感そして感情である。宇宙を直感しようとするのである。宇宙の独自な、さまざまの表現、行動のなかにひたって、うやうやしく宇宙に聴き入り、子供にものを受け入れる態度で宇宙の影響にとられられよう、宇宙に充たされよう、とするのである。
Friedrich Schleiermacher
中国語で「有始有終」といえば、ものごとを最後まで完遂することである。「有始有終」をもっと積極的な形にすれば、「善始善終」だろう。文字通りには「始め善く終わり善し」だが、決して順風満帆の成功をいうのではない。やはり、重点は終わり方にあるのである。
興膳宏 日経新聞「漢字コトバ散策」
子供とは何か、という質問に答えたある人の「人に傷つけたことに気付かず、人に許されていることに気付かない段階」という答えほど完璧なものはありませんでした。
Twitter / @hironobutnk
人間とは精神である。精神とは自由である。自由とは不安である
Søren Aabye Kierkegaard
過去の失敗はサンクコストなのだから、それを回収しようとせず、現状を受け入れ、現時点での最適な選択をすることが望ましい。
中島隆信『刑務所の経済学』
夜は昼とは別の場所にある。本当は夜というのは時間ではなく場所だ。私たちは毎日、地球という星に乗って昼という場所からぐるりと移動して、夜という場所へ行く
『子供の科学』
神といい 仏というも 世の中の
人の心の ほかのものかは
源実朝
愛はもっともすばやく育つものに見える、
だがもっとも育つのに遅いもの、
それが愛なのだ。
Mark Twain
自由は山巓の空気に似ている。
どちらも弱い者には堪えることは出来ない。
芥川龍之介
直指人心 見性成仏
(真理は自己の心の外にあるのではなく、自己の心のなかにこそ発見される。
真理であるその自己の本性をみるならば、仏となることができる)
禅宗のことば
因果一如
(原因と結果は、究極的には同じものである)
禅宗のことば
愛の定義。
相手を受け入れ評価しないこと、相手の最善を望むこと、
相手が能力を開花させる手伝いをすること
Twitter / 不明
排泄欲は、食欲と同じように考えてもいいかもしれない。
不明
悟りの後、もはや苦痛や恐怖や不安を感じないというわけではない。それは感じる。けれどもそのことがもはやあなたの存在を脅かさないのだ。それらと同一化していないし、ドラマティックなものにもしていないし、エネルギーも与えていないし、脅かされるということはない。
Ken Wilber
自己の意識状態を直下に経験したとき、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なるものである。
西田幾多郎『善の研究』
六大無礙常瑜伽
(万物はそれぞれがそれぞれとして存在しているのではなく、
それぞれが互いに影響し合い、融合し合い存在している)
空海『即身成仏義』
上品=欲望にたいして動作がスローモーな奴
立川談志
浄土真宗の他力思想は、決して個人を貶めているのではなく、自力の努力の限界、自力に頼るむなしさを説くことによって、人間が陥りがちな己惚れと傲慢を戒めているのだと思います。
岸田秀『日本人はどこへゆくー岸田秀対談集』
純粋な愛は、情動的というよりも意志的である。
本当に愛する人は、愛する決意に基づいて愛する。
Scott Peck
たしかに、罪悪感というやつには官能的な何かがある。
それは、むしろ孤独な愉しみと言ってさえ、いいほどのものである。
寺山修司
仏教とは水みたいなもので、仏教という水を飲んだ人間がそれぞれ自由に行動するが、その行動のいちいちは規制しない。
山田明爾
神は人間の最後の言いのがれであり、逆説とは、もしかすると神への捷径だ。
三島由紀夫『オスカア・ワイルド論』
悲しみとは精神的なものであり、笑いとは知的なものである。
三島由紀夫『おわりの美学』
すべての思想らしい思想はつねに極端なところをもつてゐる。なぜならそれは假説の追求であるから。これに對して常識のもつてゐる大きな徳は中庸といふことである。
三木清『人生論ノート』
神は自然の秩序のすべての面において、すべての方法と時と場所において、自然のままで存在しておられます。
イザヤ40:12;ナホム1:3
事事無礙法界
(現象世界のすべてのものごとが相互に関連・融合し、
そのままで真実の世界を完成していること)
華厳経
慈悲喜捨
(他人を憎まずいつくしむ・他人の悩み苦しみをなくしたいと思う・
他人の成功を喜ぶ・執着のない落ち着いた気持ち)
佛教思想より
神は自然の秩序のすべての面において、すべての方法と時と場所において、自然のままで存在しておられます。
イザヤ40:12;ナホム1:3
《名・ス自》
すきとおること。澄んで濁りのないこと。筋が通っていてすみずみまではっきりしていること。「―した論理」
Oxford Languages
《名・ダナ》
非常に細かい点にまで注意が行き届いて、整っていること。「―な観察」
Oxford Languages
カオスとは、未解読の秩序である。
映画『複製された男』
耳で見て目できき鼻でものくうて、口で嗅がねば神は判らず。
出口王仁三郎
私にとって生きる力とは、
「孤独な状態でも豊かに生活をおくることができる能力」です。
阿刀田高
恋というものはそういうもんじゃない。
おのれの醜さの鏡で相手を照らすもんだ。
三島由紀夫『近代能楽集 綾の鼓』
私が知りうる最も美しい人とは、
もがき、苦しみ、敗北を知り、苦労が水の泡になっても、なお自分の力で道を切り拓いた人だ。
彼らは繊細で、感謝を忘れない。
その人生は、理解や親切心、愛情深さで溢れている。
美しい人の存在は、偶然ではない。
Elisabeth Kübler-Ross
0007 名無しさん@恐縮です 2019/01/24 19:10:23
選んだ孤独はよい孤独
匿名掲示板の書き込み
真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。
Marcel Proust
釈迦の説いた筏の喩とは、総ての教えは筏であり、悟りを開く手段であるという事であった。この筏とはバラモン教でもよいし、キリスト教でもイスラム教でもよい。もしかしたらオウム真理教でもよいし、エホバの証人でもよい、当然日本の神道でもよい、儒教でもよい。これらは総て筏であり悟りを開く手段であると説いたのである。
佛教思想より
一念三千というのは 、我々の日常のごくわずかの心 (一念 )の中にも 、全世界の真理が含まれているというものである 。地獄に苦しむ者にも仏の要素はあるし 、仏であっても地獄の要素を自らのうちに持っていなければ 、地獄に苦しむものを救うことはできない 。我々のうちにも 、地獄から仏に至るすべての要素があるのである 。
佛教思想より
馬鹿というのは、差別語ではない。人間の本性にひそむ暗黒の部分だ。
不明
理解よりも認めること。
つまり理解できないことでも、それを受け入れれば、気持ちは楽になる。
ジョンヒョン(SHINee)
誰かが気絶した場合には、水だ、オーデコロンだ、ホフマン適材だ、と叫ばれる。
しかし、絶望しかけている人があったら、「可能性を持ってこい、可能性をもってこい、可能性のみが唯一の救いだ」、と叫ぶことが必要なのだ。
可能性を与えれば、絶望者は息を吹き返し、彼は生き返るのである。
Søren Aabye Kierkegaard
解脱とは、一滴の雫になるようなものなんだ。透明な一滴の雫のまま大河に溶け込むのが救済の実践なんだ。
井上嘉浩(門田隆将『オウム死刑囚 魂の遍歴』より)
人生に起こる苦難には意味がある、と信じるために神がいる。
岡田斗司夫
ナウシカが見せたような「生命の燃焼」以外に、ニヒリズムを克服する道はない。そして、利己的な動機では決して生命は燃えない。生命が燃焼するのは自分が自分を超え出る時、自他の壁を突破した時だけで、それこそが「愛」と呼べるものだ。
朝日新聞 太田啓之「コロナ下で読み解く 風の谷のナウシカ 第21回」
厳しい神様でなく、どこまでも見捨てない愛の神様。
これがホントの福音ではないかと強く思わされます。
遠藤周作『私にとって神とは』
初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
ヨハネによる福音書1:1